レポート
2017.09.13

三重県鳥羽市のミキモト真珠島に実際に行って分かった事

「海と日本プロジェクトin三重」の構成を担当している渡辺龍太です。先日、生まれて初めて、三重県鳥羽市のミキモト真珠島に行きました。それがキッカケで、真珠と海の関係を改めて知り、MIKIMOTOに対する長年の謎が解けました。

さて、東京出身の私にとって真珠のMIKIMOTOと言うと、日本有数の繁華街・銀座という場所が、すぐに頭に浮かびます。なぜなら、そこにMIKIMOTOの有名なビルがあるからです。しかも、そのビルの存在感は、銀座No.1と言っても良いぐらいで、他の海外の高級ファッションブランドよりも圧倒的に目立っていると思います。そのため、私はMIKIMOTOに対して、「海外の高級ファッションブランドの仲間」というようなイメージを持っています。

一方で、学生時代、歴史の時間に御木本幸吉について、世界で初めて真珠養殖を成功させた人物だと教わりました。大変な功績を残した人物でテストにも出るので、フルネームで漢字で書けるように暗記したのを覚えています。しかし、「銀座の街で見かけるMIKIMOTO」と「歴史の時間に登場する着物を来た御木本幸吉」のイメージが違いすぎて、どこか頭の中でつながらないような感覚がありました。

そんな長年の謎が解消できるのではないかと期待しながら、今年、御木本幸吉が初めて真珠の養殖に成功したミキモト真珠島に実際に行きました。現在のミキモト真珠島は真珠養殖が行われているわけではなく、真珠やMIKIMOTOについての歴史が展示されている資料館になっています。まず、最初に見学したのは、真珠がどうやって出来るのかというプロセスについての展示です。真珠を養殖するために、どのようにアコヤ貝に核を植え付けるのかなどが、映像などを使って分かりやすく展示されていました。その後には、現役の海女によるアコヤ貝の捕獲の実演パフォーマンスも見学しました。

それを実際に見た時に、少しづつ、三重の御木本幸吉と銀座のMIKIMOTOが同じである事が少しづつ理解できてきました。鳥羽の海には、1000年の歴史のある海女さんがいて、そして、アコヤ貝が育つ海があるわけです。その地の利を活かして、御木本幸吉が実際に海でアコヤ貝を育てながら、根気よく実験を重ねて、真珠養殖を成功させました。やはり、百聞は一見にしかずで、実際に鳥羽の海や海女さん、アコヤ貝などを目にすると理解が深まったと思いました。

その後に、MIKIMOTOが戦前から、どのように鳥羽の海から、真珠を世界に広げていったかという展示を見ました。特に、戦争前にニューヨークやフィラデルフィアで行われた万博に出展していた、大量の養殖真珠で造った五重塔などは、とても印象に残りました。そういう展示を見ることで、御木本幸吉が人生をかけて試行錯誤を重ねて、MIKIMOTOを洗練された真珠のブランドへ育てていったのかが理解できました。

今まで、真珠というとデザインや美しさばかりに目が奪われてしまい、海の恵みである事を意識せずにいたような気がしました。しかし、今回、ミキモト真珠島に実際に行き、数々の展示や、海女による実演ショーなどを見て、真珠が鳥羽の海の産物である事を実感しました。そして、「着物のお爺さんの御木本幸吉」が、どうしたら「銀座の海外ブランドのようなMIKIMOTO」になるのかという、長年の謎が完全に溶けました。また機会があれば、銀座のMIKIMOTOと、ミキモト真珠島の展示を、じっくりと見てみたいです。

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